WEKO3
アイテム
永正の錯乱以降における細川氏の本庶関係―典厩家を軸として―
https://nara-u.repo.nii.ac.jp/records/2003432
https://nara-u.repo.nii.ac.jp/records/200343245dfbb4d-94d9-45e7-a6f3-3ff41724dd6d
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
|
Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2011-11-23 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | 永正の錯乱以降における細川氏の本庶関係―典厩家を軸として― | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | jpn | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||
著者 |
西原,正洋
× 西原,正洋
|
|||||||||
所属 | ||||||||||
奈良大学大学院生 | ||||||||||
抄録 | ||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||
内容記述 | 細川京兆家と庶流家の関係は、本家京兆家と庶流家の結びつきが強く、いわゆる「同族連合体制」と呼ばれる体制をとっていると詳細に述べられている。先行研究の中で、「同族連合体制」論の論議は、京兆家の側からの論理に基づく議論が中心であった。すなわち、京兆家が庶流家を内衆による「統制」をするなど、庶家を京兆家がどう動かしたことに、主眼に置かれてきたように思われる。確かに「同族連合体制」は京兆家側からの庶流家への強い影響力があったことは間違いないであろうが、庶家側から見てもただ単に「統制」されるものではなく、庶流家にも当然の事ながら「同族連合体制」の利点の一端を享受していたと考えるのが自然であろう。また、「同族連合体制」の解体の時期は諸説によりまちまちだが、おおむね政元暗殺以前とする意見が多い。しかし、私は政元暗殺以後も細川氏が一族で行動したことが史料上からも散見され、「同族連合体制」が変質しながら、しばらくは存続していたと考えており、それに基づいて考察することとする。 | |||||||||
書誌情報 |
奈良大学大学院研究年報 Annual reports of the Graduate School of Nara University 号 11, p. 169-172, 発行日 2006-03-01 |
|||||||||
出版者 | ||||||||||
出版者 | 奈良大学大学院 | |||||||||
ISSN | ||||||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||||||
収録物識別子 | 13420453 | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||
内容記述 | Departmental Bulletin Paper |