@article{oai:nara-u.repo.nii.ac.jp:00000725, author = {三木, 理史}, issue = {51}, journal = {奈良大学紀要, Memoirs of the Nara University}, month = {Feb}, note = {Departmental Bulletin Paper, 本稿の課題は、国鉄改革期に地方交通線対策の拠点であった北海道における長大線転換の一翼を成し、唯一第三セクター北海道ちほく高原鉄道(以下、CR)への転換を果たした池北線の検討を通じて、特定地方交通線が廃止を免れ得た経緯を、特に沿線自治体との関係に注目して考察することにある。網走(本)線として形成された池北線の輸送のピークは、1950年代後半から60年代にあり、草創期から北見方の利用が多く、区間格差が次第に拡大した。しかし旅客実数値は1982年度でも戦前期として比較して増加していたが、貨物輸送は1980年代に激減した。北海道長大4線中で池北線が鉄道で存続したのは、旅客運輸密度が最多で平均乗車距離も長く営業係数が低いため人件費を解消できれば存続の可能性が高いためであった。そこで北海道庁は池北線の第三セクター存続を後押しし、1988年11月の池北線対策会議で第三セクターへの転換が正式に決定した。}, pages = {35--54}, title = {北海道における地方交通線対策と池北線 : 北海道ちほく高原鉄道への転換過程に関する一考察}, year = {2023}, yomi = {ミキ, マサフミ} }